密やかな食卓

母、お杉 「又八、この世に強い人なんておらん。強くあろうとする人、おるのはそれだけじゃ。」
(バガボンド 31巻 / 井上雄彦)

僕 「―強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」
(風の歌を聴け 121頁 / 村上春樹)

シンクロニシティ。とは言えないけど、この作家ふたり、いろんなかしょで、(思考は違えど) 同じことを違った文脈で語っている。


イルカ漁廃止、欧米の活動家らが訴え―町長らは反発


イルカ漁の廃止などを訴えるオバリーさん(左、和歌山県太地町立くじらの博物館で)
 欧米の反捕鯨運動活動家やジャーナリストら15人が2日、和歌山県の太地町立くじらの博物館や太地町漁協を訪れ、イルカ漁の廃止などを訴えた。

(2009年9月3日 読売新聞)


何がすごいって、、
日本の100パーセントに近いひとたちが、イージーな論客が、「余計なお世話だよ、異文化の慣習にケチつけんじゃんねぇ」

と鼻の穴膨らませて憤慨していらっしゃる。いやすごい。日本人が一致団結して黒船来航に猛反発してる。
マックやスタバをこよなく愛し、スローフードをはじめ欧米文化をありがたがるくせに、
自分たちの慣習を非難されると、激怒するんだな。イチロー並に。
まったく慈愛に溢れた抗議だ。
決して捕鯨を生業としている人々への気遣いじゃないだろうけど。

「君達も、数多の犠牲の上で生きてるじゃないの?っていうか、牛は良くて鯨はダメなの?」
という論拠はあまりに安直だし、短慮軽率ってもんだろう。


「何が食ってよくて、何がダメなのか」
少し考えればわかることだけれど、「くじら食うこと」の是非は、この論争の渦中にて問題にはならない。
(そんなもの問題にしたって、答えはない。)
他人の食卓を、冷蔵庫のなかみを、鍋の中を掻き出して、目を凝らしては眉間にシワを寄せていたんじゃ、ずっと同じところをどうどうめぐりです。


唾棄すべきは、「とりあえず、隣人の奇習を批判していれば、当面わたしの"奇習"は担保される、大丈夫」と無意識に信じてしまっている、あなたであり、わたしです。
この人々は、自らの慣習がトレンドでなくなれば、批判材料を探し始めるし、
はやりものの「外的奇習」があれば、いちはやくキャッチアップしようとする。
ようするに、奇習とは「トレンドではない」ってことです。
そう考えるだけで、ずいぶん違う風景が見える。


・・・あまりに捕鯨保守派が圧倒数を占めているので、ケチつけたかっただけです。
捕鯨問題に定見なんぞないけれど、(つまり、カワイイ女の子と鯨食う段になれば、がむしゃらに頬張るということです。)
ぼくは、「鯨の美味しい食べ方」をみんなで考えていたほうがいいと思うけど。
そんなことは誰も賛成してくれないだろうから、今夜はこっそりサバの味噌煮を頂きます。
ハッピー。

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