玉井夕海/松本備忘録

玉井夕海さんのライブを観に、そして少しだけ録音を手伝いに長野県の松本に行ってきました。

素敵な旅だった。

松本の町は、すっかりぼくらの気に入ってしまったし、丁寧に作られたライブ・パフォーマンスは素晴らしく、また連れて行ってもらった日本料理屋さんは、お店自体は休みだったけれど、家屋はしんと静かで美しかった。(静謐なお店と聞かされて、まぁ、田舎町にひとつだけあるような瀟洒で気取ったお店なんだろうなと高をくくっていたのだけれど、その佇まいは寡欲なほどに澄んでいた。)

玉井夕海さんの歌や、言葉、その音楽についてはツイッターなどで喋ったので繰り返さないけれど、(たぶん映像などが後日公開されるでしょう。そのためにぼくらはここを訪れたんだ。)この日のライブのために、チェリスト坂本弘道さん(彼は、今までに聴いたどんなチェリストとも違っていた。音色はきっぱりとして優しく、本当の音楽を奏でられる演奏家だった。)をはじめ、多くの優秀なスタッフとあたたかなお客さんが集まり、幸福なイベントが開催された。良い音楽会だったと思う。

 

それにしても玉井夕海さんの住む町には、なぜこんなにもすぐ、しとやかで暖かな人たちが集まるのだろう。吸引力や、カリスマ性のある人は少なからずいるけれど、もちろん夕海さんも、自然とそのような流れを集める本流のような性質も持っているのだが、彼女の水脈はささやかだ。それは一見、支流のようでさえある。

周囲に影響力を持つ多くの人は、往々にして自分の確固たる世界を造形して、彼らの強力な自我をコミュニティの中心に据えようとするけれど、彼女はその土地の有形無形の暖かな気配を掬い取り、種を植えるように歌い、導く。それはその土地に合った水だ。その人にぴったりの歌だ。

いつか、彼女がその土地を去ったとき、たくさんの新鮮な傍流が生まれているはずだ。それはきっと、今以上に素敵な光景に違いない。

 

松本の旅が楽しかったのは、もちろん夕海さんのアレンジに負うところが多々あるのだけれど、それを抜きにしても、とても良いところだった。町はマッチ箱みたいに小さくて、セントラルに公共施設や飲食店、観光のための名所が集まっている。町の周りの山々に向って古い住居が放射状に点在していて、いたるところに神社があり、街角にはときどき大樹が植わっている。家屋の背丈は低くて、土地の高低はほとんどない。道路はうんと広いし、空は近く、風は大らかな手触りで街路を通りぬける。

こんな土地で音楽を作れたら素敵だろうなと思う。五線譜と鉛筆があれば(とくにぼくのような化石的な作曲家は)どこでだって音楽を作れるのだろうが、今はひとまず東京にいてちゃんと仕事をしなければならない。

滞在二日目は、宮本くんを送ったあと、上高地高原に向った。松本電鉄に乗ったのは午後三時を過ぎていて、高原を散策する時間も、山々を巡る時間もほとんどなかったけれど、とにかくぼくは長野県の深い森が好きなので、二時間ほどで往復できる高原を選択し、電車とバスを乗り継いで高原を目指した。

・・・うーん、ここまで書いてなんだけど、コレ、ブログに書くようなことでもないなと思い始めました。備忘録ではあるけれど、みんなが読んですごく愉快なことでもあるまい。以降箇条書きにしますね。

 

大正池は素敵だったけれど、バスは渋滞し、帰りは最終バスにかけ乗った。

・道中、(名前はわからないが)大きく美しいダムがあった。入り口に「東京電力」と書いてあった。そういうものだ。

・松本市内に着いたのは十時を過ぎていて、宿泊場所まで五十分かけて歩いた。お土産のキムチを提げて。

・また来ます。

 

そうだ。大事なことを書かなければ。

一つまえの日記で、ぼくは「デモ」を口汚く罵っているのだけれど、夕海さんと話していて、少し考え方が変わりました。彼女は、他人の受け売りではない、うちから滲み出た言葉で、「ファナティックな人たちもいるけれど、今回のデモは大事だと思うよ。」と言った。長くなるので仔細は書かないけれど、(書かなきゃわかんないだろうけど、水木しげる妖怪大戦争を例を挙げて、その理由を説明した。)この言葉はどこにも与していないし、美辞麗句でもない、強くしなやかな箴言のように響いた。等身大の言葉というとなんだか陳腐だけれど、とにかく自分の確信に満ちた価値観が揺らぐ瞬間は、まったく心地が良い。

 

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