沈黙の強度

大地震以来、ぜんっぜん更新されていなかったJessica Diaryが、最近アクティブになっています。
なかなかうまいんだな、文章が。ぼくが言うのもアレなんですけど。
少なくともぼくのゴミクズのような文章よりはよっぽどおもしろいです。


ここ数ヶ月間、地震や原発問題について、皆が盲滅法に主張を繰り返すなか、それらの論件については黙して語らず、いずれの主張にも与さなかったことは、本間くんの言うようにある種の敬意に値するように思う。ぼくが言うのもアレなんですけどね。


だれもが自らの立場や欲望というバイアスを通して語る。どんなに知的な人であろうと、あれほどの惨劇の後ではクールで客観的な意見を述べることは難しい。いったいどれだけのひとが自分の見えたもの、自分の主張に懐疑の念を持っただろうか。誰もが自説を喚き散らしていたし、堅牢な私的感情を省みることはしなかった。
もちろん正しい主張もあっただろう。けれど、その正しさを他人と共有したいという欲望を自覚し自制したひとはいなかったように思う。
他者と何かを共有したいという欲望は、人間の持ってしかるべき性質のひとつだし、愛情でさえその欲望の変形なのだろうが、
ひとを愛し、正しいことを説き、道を照らすつもりで狭い一本道に導くような、あるいは他人との心地良い「距離」を節度なしに踏み越えるような「正しさ」はだいたいにおいて不愉快だ。宗教だって、愛情だって。


話がへんな方向に行ってしまいました。
語らないことへの敬意について書いていたのであった。
黙ることの重要性を説くために、ひたすら饒舌に話さなければならないのは、ぼくの頭が悪いからだろうが、
仮に沈黙の強度というものがあるとしたら、このような文脈のなかでこそ語られるべきだと思う。


尻切れな日記になってしまったので、
6/26 PROGRESSIVE FOrM 10th の写真を貼ります。
楽屋にしこたまビールが冷やされていたので、イベントの終盤の記憶は曖昧なのだけれど、
とにかく、出演者のみなさん格好よかった。
mergrim × Kazuya Matsumoto は鋭利な演奏をパフォーマンスを披露していたし、ametsub氏も、agraph氏も、非常に心地良く、音もすごく良かった。見られなかったステージが多くて無念ではあったけれど(ビールラッシュ故)、2011年上半期最高のお祭りでした。
みなさんありがとうございます!


充足感ゆえに楽屋でくたばったyuanyuanの宮本氏

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