甘いストーリー

ヴォルフガング・ティルマンス
横尾忠則
モディリアーニ展


チャンピオンズ・リーグが終わって、フツーの(朝起きて、夜寝る)生活に戻る。戻したい。


食卓備忘録をつづろうと思っていたけれど、あえて食卓を備忘することもあるまい、と、断念。めんどくさい。美味しくできたお皿をたまに書くことにします。
昨日は、たけのこを頂いたので、たけのこご飯とゴーヤのサラダ、カツオのたたきを美味しく、ハッピーに頂く。今日はきのこをバターで炒め、ほうれん草、鰹節と和える。キャベツ、アンチョビを出汁でぐつぐつ煮込み、じゃがいもをくわえて和風ポトフを作る。(コレ、何度も書いてるけれど、ほんとに美味しいんだ。)アスパラも焼いて塩で食べる。美味!


あれよあれよと一日も深更に至り、腹が減ったので(結局昼起きて、夜寝れない)コンビニで甘いものを購入。美味しく、ワンダフルに頂く。
夜風は涼やかで、初夏の匂いがする。夏が近づいてきたので、渋々ナツミカンを購入。さっそく食べる。甘いものを食べたあとすぐに果物等を食べると、やたらと酸っぱく感じるけれど、なぜでしょうね。糖質知覚機能が麻痺するのでしょうか。あるいは甘党への戒めでしょうか。


最近なぜか駅前に、麻薬防止の警句がやたら並ぶようになりました。なんで今更?と思うけれど、まぁ、この辺ではきっと麻薬乱用が地域的趨向なのであろうから(しらんけど。)役所の方々の苦肉の防止策なのかもしれない。

「麻薬絶対だめ。誘惑に負けない勇気を」なんたらこうたら。


麻薬大好きな人に、麻薬のデメリットを説いても、無駄であるし、たぶん。
麻薬をどうしても止めさせたいのであれば、「麻薬止めますか?人生止めますか?」のようなパセティックなことばを説くのではなくて(どうせ読むのはぼくのような健全な人だけだし。)、彼に新しい価値観を提案して、「麻薬より、こっちのほうがハッピーだとおもうけど。」と打診してみるしかない。余計なお世話だけどね。

コモンセンスというのは個人的なものだし(あたりまえだけど)「これが正しい、それは間違ってる」なんて誰にも言えないから、「より充実した」「よりハッピーな」ストーリーを提示するしかない。
ぼく自身は麻薬を肯定も否定もしないけれど、とにかくその汚い看板を置きまくるのはやめてくれ。


愛猫の額にガムテープ貼ったら、30秒ぐらい頭を抱え込んで動かなくなった。
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いくつの映画と、いくつかの展示を観る。
結局、ティルマンス展に行けず。
秦如美展には行こう。
弟の企画・ディレクションしたPOSTALCO展に行く。

矩形のエクリチュール――POSTALCOの隙間
POSTALCOのデザインに何故惹かれるのかを説明するのは難しい。使っているのだから、身体はその使い心地のことはよく知ってはいるのだが、自分ではない誰かにそのことを勧めようとしても、うまく言葉にできない。POSTALCOの鞄やステーショナリーを使ったときに、私は「そう、こういうものが欲しかった」、と思った。その前には、こういうものが欲しい、とは思っていなかった、にもかかわらず。
昨年、世田谷ものづくり学校で展示会が行なわれた新作の鞄は、橋の力学を基に考えられた「ブリッジバッグ」。橋の構造は、重さの圧力を柱が分散するように出来ていて、その強度とバランスを応用し、作られた鞄らしい。しかし、始めから橋と鞄の関係性に着目していたわけではなく、元々橋が好きで、橋の資料を集めているうちに、鞄に応用できないか、と考えるようになったと、伺った。
POSTALCOの展示や鞄を見て、いつも感動するのは、関係のないと思われるものを結びつけるそのダイナミックな思考と、それらがサンプリングされていく際の心地よさにある。(しかし、その軽やかなジャンプは、「身体」や「モノを運ぶこと」からは離れていかない。着地点はいつも、私たちが、鞄を持って歩く道であり、ノートを広げてメモを取る旅先であり、手紙を書く机の上なのだ。)
そのような、機能性や外見の美しさだけではない、目に見えない“響き”や“揺らぎ”のようなものに、手にした人が誰しもそれを自分のためだと思ってしまう、効用がある気がする。そこには“物語”がある。POSTALCOの“物語”ではなくて、POSTALCOを使うことで、初めて気付く“私の身体の物語”だ。
それは、天気が良くて、いつもより少し長く散歩した時かもしれないし、急いでいるのに、ドアの閉まる電車に間に合わなかった時かもしれない。もしくは、隣に人がいて、鞄の持ち手を変えた時かもしれない。結局、私たちはお気に入りの鞄を手に入れた所で、それを片手に携えて、日々の生活に勤しむことになるのだろうが、POSTALCOの鞄たちは、耳に差し込んだイヤホンのように、些細な幸福を連れてきてくれる。
鞄の中に、“物語”が入り込む隙間が少しだけある。それが、POSTALCOの“デザイン”ではないだろうか。

(「Thinking with My Feet POSTALCOの気になること」より)