幸せの鮮魚

映画『エディット・ピアフ』を観る。モーム・ピアフのサクセスストーリー。作曲家たちがピアフのもとを訪れて、自分の曲を披露し、歌って欲しいと請うシーンがあった。やっぱりさ、作曲なんてのは誰がしたっていいんだよ。歌手ありきのポップソングなんだよね。決して、曲ありきの歌手なんかじゃなくてさ。(世界中の歌手の垂涎の的になるような曲を書こうなんて思ってないし。)
さぁ、ピアノを練習しよう。


スーパーの鮮魚コーナーにて、酒臭いオジサン(ホームレスだろうな)から、魚の教義を受ける。
「川魚食うたら腹壊すからな。絶対やめとけ!ヒラキにしとけ!」
やだよ。淡水魚がだめなら、海のお魚買いますよ。ぼくは鰆が大好きなんです。モウカザメの切り身とアメリカ産の鱈も購入。
乾物コーナーには、いつも駅前のマクドナルドで恨めしそうに、そして厭世的に「てりやきエッグバーガー」の看板を眺めている浮浪者のおねえさんが立ちはだかっていた。最近はスーパーで雨風をしのぐのが世間的趨向なのかね。
彼女、しそのふりかけを手にとって丁寧に調べている。
もちろん、個人の自由なんだけどさ、あんた、ふりかけより米をどう手に入れるかが喫緊の課題じゃないの?
出汁の素が少なくなっていたので、煮干などを購入。


ライヴが続きます。

リハーサルの帰り、古本屋で、『思考する魚』@池田満寿夫と、『虹の理論』@中沢新一を発見。
帰宅後、テレビをつけると金八先生が映っている。
「わたしアメリカなんか行きたくない!(たぶん親の転勤で)」と叫ぶ、やたら綺麗な女の子(こんな中学生現実世界にいないだろ。)に金八先生が、「わかった。僕がお父さんと話してあげるから。」となだめている。
おまえ、一教師が過ぎた真似するなよ。余計なお世話だろソレ。家庭の諸事情にいちいち学校が口を出すから、家庭側も勘違いしてしまうんだよ。「学校と家庭は一蓮托生なんだ。」みたいなさ。
はっきりいって、学校なんてものは、生徒の生き方や人格なんて無視すればいいんです。勉強だけ教えてればいいんですよ。あるいは、勉強だけ教えていたのでは、教師が彼ら自身の威厳を維持できないから、人生や、個性について語りたがるのだろうか。たぶんそうだろうな。
「学校の成績だけで、人間性は計れない。」というアンチ偏差値教育キャッチコピーが流布して、逆に教師たちは必死にならざるを得ない。教師自身、知識の多寡以外で自分達が生徒より優っている保障はどこにもないということを知っているからこそ、執拗に人生についての教義を説く。
そう考えると、金八先生という番組は、教師生徒間の主従関係をよりいっそう強固なものにするためのプロパガンダみたいなものなんじゃないか。
なんてことを考えていると夕飯どきになったので、簡易中華丼を作る。
茄子、葱を豚肉と炒めて、醤油、砂糖で味付けする。水で溶かした片栗粉をかける。美味い!
夜中こそこそと「幸せのレシピ」を観る。思ったよりもいい映画で、鑑賞後、また腹が減って冷蔵庫の中のアボカドとパプリカを使って、スパゲッティを作る。にんにく、ツナ、唐辛子を炒めて、アボカドと和える。美味い!


近所の蕎麦屋さんは、恐ろしく美味い。とくに五目蕎麦がやたらと美味い。五目と銘打っているのに、12品目入っているんだな、コレが。(舞茸、エノキ、ほうれん草、海苔、豆腐、玉子焼き、ゆで卵、かまぼこ、おふ、長ネギ、豚肉、海老)
こんな品目の豊富な五目蕎麦を、ぼくはここ以外で寡聞にして存じません。ご馳走さまです。
矢野顕子の歌う「すばらしい日々」を聴きながら、安岡章太郎をちらちら読みつつ眠る。

さて、コイツ食ってばっかりだと思うでしょうが、来月、再来月とライヴが二本ずつあります。アルバムももうすぐ完成します。
うーむ、しかし今月は食って呑んでばかりで、腰が重い。
現美の川俣正も面白そうだし、国立新美のArtist File 2008も、見ておきたい、でも腰が重い。
ところで、綾瀬はるかと、桜塚やっくんと、フレディ・マーキュリーって似てませんか?