盛り写メ

徹夜明け。
じょじょに曲が仕上がっていく。
パソコンの画面を凝視するのにも倦んできたので(といいつつ駄文書いてんだけど。)
朝っぱらからテレビを見る。
最近、「盛り写メ」なるものが流行っているらしい。
何、盛り写メって。

ギャル語で過剰に化粧をすること。ギャルに独特の化粧法が「顔に塗る」というより「顔に盛る」ようなイメージがあることから言われるもの。「アクセサリーを過剰に身につける」場合にも言われる。また最近では、さらに一般的に「過剰に演出する」ことについて「盛る」と表現する例が増えている。モリオ、盛り写、盛りプリなどのような複合語を作る場合もある。―新語辞典より


「盛り写メ」
凄まじい言語感覚である。
「盛り」に含意されている本来(本来というか、むかしの)の意味は、「勢いづいている」「絶好調」などのニュアンスである。女子高生は、そのような古臭い語感にうんざりして、あるいは飽きて同じ概念を違った言葉で表現するようになった。(たぶん)

「盛り写メ」の「盛り」は「過剰に演出すること」を意味するらしい。

ぼくも「話を盛った」ぐらいは使うけれど、「演出する」という意味か。なるほど。
でも、ぼくが今判読した「盛り」のニュアンスと女子高生の使う「盛り」とでは、だいぶ乖離があるんだろうな。さすがに女子高生の友達も、もう久しくいないから(さみしい)生の使い方に触れる機会もないけれど。


ぼくが高校生のころにも新語をどこからともなく運んでくる、コウノトリみたいなやつがいて
彼の発語する新語はまたたく間に学校中に浸透した。
ぼくはそのころ、「ウチの高校ってすげーぜ!最新流行の言葉をキャッチアップしてんぜ!」と息巻いてそれらの新語を使いまくっていた。
たとえば、

「イカチー」

もちろん、「いかつい」である。元々の意味は「ごつい」「威圧的な」辺りだろうか。
その「イカチー」を、ぼくらは「怖い、強い」という意味で使いはじめ、転じて、「ヤバイ」というニュアンスにまで昇華させた。
用例を示そう。


「あいつらイカチくね?」
「今日数学の小テストあるじゃん、マジイカチーんだけど」


・・・なんて乏しい表現なんだ。バカかオレら。
バカだけど、かわいいよね。そして幾星霜「イカチー」は消えた。
「盛り」もこのまま繁昌し続けるとは思えないから、使い捨てなんでしょうね。イデオロギッシュな。
別に、使い捨て言語が悪いわけじゃなくて、語彙の増やし方に問題があるのだ。
(だって、言葉って流動的なものだし、時代ごとのイデオロギーと、年代別バックグラウンドにまるごと内包されているもんだから。)

複数の概念や、グラデーションを描く色とりどりの感情を単一の語彙に委ねてしまう人間は、バカのままだけれど、(たとえば、「うぜぇ」とか「さみぃ」とか)言葉をころころとダイナミックに開発して、語彙を獲得していく女子高生には深い敬意を抱くのである。



これを読んだ女子高生諸氏、ぜひ「ことばのつかいかた」レクチャーしてください。