客観写生


コーラは、飲んだときの満足感よりも、
飲む前の、パッケージによる視覚的な爽快感のほうが何故か気持ちが良い。
意味わかる?わかってくれ。


一生懸命、歌詞を書いている。
今度の歌詞は、「リアリティー」について書く。
リアリティーとは、要するに、主観や自明である情報を
世界から、出来る限り排除したあとに残る、残り香のような陽光のことです。
よくわからない、よくわからないな。
よくわからないだろうから、深澤直人さんの言葉を引用します。
いや、ただ、このテキストから読んでから、ずっとそのことが
気になっているだけなんです。

縁と肌目
 世の中には縁と肌目、テクスチャとエッジしかない。ある均質な情報はテクスチャと、その変化によるエッジで認知されている。しかし認知をとめてしまえば、結局世の中はテクスチャの切り替えでしかない。これがリアリティーだと思う。たとえば海で水平線を見たとき、その向こうが滝のように落ちているとは考えないだろう。それは、地球は丸いと教えられ、向こうが滝だなどという「バカな」情報を切り捨ててしまっているからである。この世界が自分にとってどう見えているのかということを、自分の目で、自分の肌で感じようとしていないのだ。事実、地球が丸いとわからなかった時代には、自分の生活環境の中から割り出した情報によって、向こう側は滝だと考えられていた。それがいかにするどいリアリティーであろうか。
 人々が共に吸い込んでいる共有の情報こそが、デザインをする上でとても価値の高いものなのである。

客観写生
 高浜虚子が言ったように、俳句とはその人の心情をあからさまに歌うものではない。主観ではなく、客観でそこにある現象を詠むのである。リアリティーを持って、ダイレクトに詠むことで、相手を感動させることができるのだ。心情を込めてはいけないわけではないが、あまりに主観が入りすぎては人には受け入れられないだろう。客観写生、常に客観的に自分を俯瞰してみることが重要なのだ。
 マチスも同じことを考えていたのではないだろうか。彼は絵を描く時、とても長い筆を持っている。普通の人は、近付いたり離れたり、主観と客観を行き来している。しかしマチスは、常に客観だけで描いている。自分の小手先のコントロールが出ないから線がきれいなのである。
 きれいな線、きれいな色、きれいな形などというものは存在しない。そのものがきれいなのではなく、ただ状況がそれをきれいにしているというだけのことだ。意識的であることは、もっとも美から遠いといえるだろう。
―デザイン経営論 講義ノート 深澤直人
http://www.musabi.ac.jp/d-info/y04/keieiron/5-2.html



読了リスト


春、バーニーズで」は、おもったより全然おもしろかった。
」も記憶していたよりもぜんっぜんおもしろくて、
村上春樹『1Q84』をどう読むか」は非常につまらなかった。
3人ぐらい読んで、「つまらなかった」と結論を下してしまうほど、つまらない。
あと32人分読んだら、感想など書きます。書かないかも。



本田圭佑が開幕からきれまくりです。
モンスターだ。コイツ。

PSV     - VVV-Venlo 3-3 (1ゴール1アシスト)
VVV Venlo - ADO Den Haag 2-2 (2ゴール)
FC Utrecht - VVV-Venlo 2-2 (1ゴール1アシスト)


PSV-VVV (09/08/02)
http://www.youtube.com/watch?v=PP0XVVizZgo&feature=related
VVV-ADO (09/08/09)
http://www.youtube.com/watch?v=NVTqs0u8sdA&feature=related
Utrecht-VVV-Venlo (09/8/16)
http://www.youtube.com/watch?v=FZGeJqlbVC0&feature=related