穴の空かない靴下


ぼくは、二億年先に宇宙が消滅すると言われても、そんなことまったく、全然信用しない。
二日後のことにだってカイギテキなのに、暫定的な宇宙なんて想像の域を超えている。

人間は恒久的に生きるという(病的なまでの)前提があって、はじめてノーミソに行動プランを提案できる。すべては…、音楽も本も、人も、完全に時間に縛られているにも関わらず。


尺のない音楽とか、めくるページのない本とか、
無害化された存在とか、ツルゲーネフを読む高校生とか、ポップな新聞勧誘とか、
穴の空かない靴下とか、飽きない女の子とか、目測を誤る猫とか、狡知な植物とか、
現在を素通りする歴史とか、どこにも到着しないセックスとか、生前の哀悼とか、
響きも倍音もない、今、ここ、だけに留まるアンサンブルはどこにあるのだろうか。


憎しみも死別も、失恋も、ゆるやかなグラデーションを経て、ぷっつり消える。
それは時間の圧倒的な力がそうさせるのではなくて、
血の巡りや、星回りのようなものだと思う。
たとえば、春になると猫の毛が生え変わって、
いつも毛布を持ち歩いていたような身体が、新しくなるのと同じような、テクノな脱皮。


というようなことを、
最近、出産を控えた友達に会ったりして、考えてるわけです。
しかし、…こんなこと言うと、フェミニストたちは激昂するだろうけど、
誰がなんと言おうと、妊婦はグロテスクだよ。



それにしても、パンかライスかみたいな問いって、日本独自なのかな?


itunes storeより、お知らせ。
http://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewAlbum?id=311212754&s=143462