パブリックな個人


近美に「コラージュ―切断と再構築による創造」を観に行く。
いつも思うけれど、コラージュはどこか清々しい。
頭のなかにある「他人」の意匠を切り貼りして、おおきな世界地図を作っていく行為は、
実に今的であるし、サンプリング行為それ自体、非常に優雅だ。
そもそも、創造は、無数の剽窃で成り立ってるんだけどさ。言わずもがな。
「鈴木崇」という人の写真が良かった。

昔から思っていたのだけれど、嘘を追及されるとき、つい「何が?(不機嫌そうに)」と反応してしまうのは何故でしょうか。不思議です。ぼくだけでしょうか?不思議です。

思うのだけれど、女の子と食事をするという行事は、男性の生活のなかで唯一、「パブリックになりうるプライベートな儀礼」だと思う。意味わかんないか?わかんないな。

詩や音楽が人間にとっての時間を作り出すのである。

http://blog.tatsuru.com/2009/02/28_1013.php
■2.21@めぐろパーシモンホール
桃色クルドサック