彼らはわたしに―「世界」とはいやなものである

前回の続き…を書こうと思ったけれど、紀行文ばっかりでもアレなので今回は「ここがへんだよ日本人」を書きます。


ぼくは旅先のヨーロッパで日本人を見るたびに何だかスマナイ気持ちになる。(不快にさえなる。)それは彼らがツーリスティックに過ぎるからではない。はっきりいって品のないな観光客はアメリカ人のほうが多いし、わけのわからない建造物をありがたそうに被写体にして、撮影しまくっている方にも欧米人が多い。不愉快になる理由は欧米人や西の文化に対して日本人があまりにも卑屈だからだ。詐欺紛いの商売に対しても涙を飲んで(実際には涙さえ飲んでいないが)ヘラヘラしていたり、明らかな「NO日本人」差別にも満面の笑顔で応じている場を度々目撃した。

ミラノの大聖堂の前に鳩の餌を観光客の手の平に乗せてくれる優しいオジサンたちがいる。「掌上の餌をついばむ鳩と一緒に写真を撮らせてくれる。」サービスなんだろうが、写真を撮った後に「鳩の餌代、50ユーロね。(約8000円)」と凄んでくる。「アホかよ?」と無視すればいいのだけれど、ぼくが見た日本人の女の子二人は、「センキュー!!」といって、50ユーロ札を手渡し、握手までして満足そうに去っていった。周囲のアツイ失笑を集めた後姿は、今でも思い出すと赤面を禁じ得ない。

誤解を恐れずに書くならば、世界に対して「謙譲」は必要ない。「謙遜」や「へりくだる」ことが美徳として成り立つのは国内だけである。「つまらないものですが」的謙譲が翻訳不可能だということは、もう自明であるし、「謙譲」を文化として受け入れるだけのキャパシティーは、今のところ欧米にない。
また、歴史的に日本人は自らを「目的語」で語ることに慣れすぎている気がする。島国故の性質か、戦後の強引な民主主義政策が原因かわからないけれど、いつも「彼ら」は、「わたし」に、―する。
この「目的語」意識が、英語話者に対するコンプレックスと、欧米諸国に対して引け目を持つ遠因なのだ。もちろん英語によるコミュニケーションが得意ではないということもあるのだろうが、そもそも英語が世界の公用語になったことに、一寸の疑問も持たないことが自虐史観的であろうと思うのだけれど…。まぁ、それは歴史の運命性だし、しょうがないか。


支離滅裂の極みである北朝鮮にナメられて、中韓の反日運動にびくびくし、欧米に「日本は集団主義的」と批判されれば、あっというまに「個人」やら「個性」やらの個人主義に落とし込まれ、皆自分探しの旅へといそいそと荷造りをはじめる。この「旅」の愚かさは何れにも比肩しない。欧米の「日本人観」というのは、「ジャップはこうである、むしろ、こうあって欲しい。だってそうでないとオレラとの差異化が成立しねーから。」という、一種のコンプレックスと"祈り"に過ぎないとぼくは思う。

残念ながら、他国の認識深度が極めて低い、国際リテラシーのない欧米人またはアジア人の方々はまだまだ大勢いる。彼らには国境の向こうに異文化が存在すること自体想像できない。だから、グローバル・スタンダードという言葉を平気で口にする。愚の二項対立さえ脳裏を過ぎらない。(あのブッシュでさえ、アタマのなかで世界は二分されている。)彼らに他者は見えない。仲間と親の識別が関の山である。(最近の女子高生に対する形容と同じですね。女子高生ならカワイイけど。)


そういう人間のことをぼくらの世界では「猿」と呼んでいいことになっている。(またかよ。)「現代人」の名にも値しない、頭の悪い猿にぼくらは旅先でよく遭遇する。(遭遇しない人は、まだまだ欧米コンプレックスが根強く染み付いていると言わざるを得ない。)なので、欧米人どもに猿呼ばわりされた際には、「黙れ猿野郎。今後一切日本車乗るな。電化製品買うな。日本語の刺青入れるな!DBの版権返せ!プレステもやんな!それと日本人見るたびに「ナカータ」って言うのやめてくれ、じゃっかん凹むんだよ!」と捲くし立てたあとで、街角の「スタバ」に入って一服しよう。そしてこう考えればいい。

「世界には時差と同じように歴史的時制の違いがある。是非はない。ただそこに違いがあるだけだ。だから、中華思想にもイライラするのはやめよう。圭角のある人を嗜めるのは大人の役目だ。そもそも13億の人口を抱えるなかで、一党独裁は無理があるよ。はやく気付くといいね。それから、『米』。予想通りのガバナンス低下に同情して、マクドナルド食べるからね。はやくよくなるといいね。最後に『伊』。今年で20回を数える北斗の拳の再放送、いいかげんやめれ。」
これはナショナリズムですらない。日本回帰論でもなく、ただぼくはバカにされるのが嫌なだけだ。


というようなことを、イタリアの街を歩きながら常々思っていたわけですが、今読んでいる、関川夏央の「「世界」とはいやなものである」にインスパイアされ、改めてここに愚痴る次第である。




ガタリ、CLASKAにてイベントがあります。
素敵なホテルです。入り口はイギリスのデザインユニットTomatoが、設計は鄭秀和氏率いるインテンショナリーズが、それぞれ手がけている。
http://www.claska.com/
http://www.claska.com/calendar/2008/07/live_eventngatari.html



新宿の伊勢丹前で、この酷暑のなか、「新宿区婦人団体協議会」の方々がデモをしていた。小さな女の子が旗を振り回していた。あぁ、不幸の象徴。そんなことをしてもフェミニズムが消滅するのはもはや時代の趨向だからさ、諦めてくれよ。実際何の団体か知らないけどさ。見てるだけで暑苦しいんだよそのデモ!