ゆるゆる裁判のススメ


DE LA FANTASIA 2010」を終えて、イノウエタイシンさんのおうちへ。
タイシン家の書架がおもしろくて、くるくる見回してしまう。ドゥルーズ=ガタリまである。ワインを頂きつつ、猥談を交えつつ、深更に至る。
音楽をたくさん聴かせてもらったけれど、音をテクスチャーとして捉える人たちの仕事はとても刺激的だ。ぼく自身は、音を注意深く編んで音楽造形を図る化石的に古い人間だから、彼のように音の手触りを感じ取って、そこから何かを想起する人たちの感覚には深い敬意を持ってしまう。
彼らと共同作業をすることによって、からからに建てられた古い建物に、色とりどりの光が当たって、豊かな陰影が生まれたらいいな。


光と言えば、DE LA FANTASIAのトップバッターを飾った高木正勝さんのステージは素晴らしかった。映像作品を背景にピアノを弾くだけのステージなのだけど、凡百のムード音楽とは明らかに一線を画すパフォーマンス。最近の映像作家の作品には強い忌避感を持ってしまうのだけど、彼の映像はとても気に入っている。
なによりピアノを肯定も否定もしていないような演奏が素晴らしくて、それこそはたを織るような演奏、世界は本当にテクスチャとエッジのみで出来ているんだと思わせるようなリアリティを肌身で感じました。こういうのこそ"オリジナル"と呼ぶのだと思う。

高木正勝さんにクローズアップしてしまったけど、DE LA FANTASIA 2010の面々は本当に素晴らしかったです。ありがとう!



また政治的なこと書いてやがると思われそうなのだけど、
こんにゃくゼリー訴訟」への言及(もっぱら「企業側に非なし、両親の不注意」的意見)があまりに多くて、いらいらしてきたので、ちょっとだけ書かせておくれ。

こんにゃくゼリー訴訟」において問題なのは、「とんだお門違い」の訴訟を起こした人間の判断力ではない。そうではなくて「抱え込んだトラブルをほぼ間違いなく解決してくれる機関がある」と彼らに盲信させた日本の司法の在り方だ。
というのは、日本では訴訟を起こせば、勝敗は別にしてほぼ間違いなく判決が下る。そして正義の名のもとに刑罰が執行される。自分にとっての「悪」を罰する機会が得られるならば、とりわけそれが近親者の命に関わったものであるなら、だれだって、その「正義の裁断」にすがりたくなるだろうし、そういう立場にある人間の「厳罰を希求する感情」を咎めることは誰にもできない。
「危険なこんにゃくゼリー」を作った人たちも悪くないし、両親の不注意と断罪してしまうのはあまりにパセティックだ。

こういう悪の居所がよくわからない問題に直面したときに、もやもやしたまま判断を下す人たちがいるけれど彼らには「両者とも悪ではなくて、不運だった。」と欠性的に結論付ける習慣がない。
それがたまらなく嫌だ。「この訴訟はただの八つ当たり」だと断罪する人間の思考は「悪の居所はこんにゃくゼリー」だと断罪した遺族の思考と同型だ。

「悪は程度の差を抜きにして、必ず罰せられる」という信憑は根強い。
多くの場合悪は許容されるものだし、少なくない数の悪が罰せられる。そういうものなんじゃないか。誰かを必ず罰するとか、どちらかの正義に与する必要なんてないんじゃないか。

悪にだって程度はある。些細な不正から自分の身を守ったり、ちいさなトラブルを事前に回避できるのは「悪の程度」を注意深く測ることのできる人間だけだ。
そういう人たちは、簡単に人を断罪したりしない、と思うよ。



こんなこと書いていたら、
「裁判員、少年に死刑判決」の記事が。
「こんなことしたやつ殺しちゃえよ」という能天気な市民感情が色濃く反映するように、「厳罰化」を希求したがための結果が裁判員制度なのだろうが、裁判官に求められる職業的キャパシティを甘くみすぎなんじゃないか。
裁判員制度導入を決定した官僚の方々は、ふつうの理性を持った、専門的訓練を受けていない、ふつうの人たちが、人の生き死にを決断する際に負う精神的負荷を想像したことがあるのか。
「一生悩む」と言った裁判員の方の精神的苦痛は、裁判における守秘義務ゆえに、誰にも打ち明けることができない。
「死刑を求刑した裁判員もまた人殺し!」と喚いている連中と同様に、裁判員制度を主謀した人間もまた想像力が足りなかったと言わざるを得ない、と思う。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101126k0000m040091000c.html



年の瀬
ぼくは季節もののイベントが大好きなので、年末年始のお祭りは多いの堪能させて頂く。
クリスマスも好きだし、お正月も好きだし、人日の七草粥も、Thanksgiving Dayのターキも好きだ。何について言祝ぐ、あるいは感謝する人なのかよくわからないので蒙昧な信仰ではあるけれどそれでもいいじゃない。
宗教的思考に繋縛されることなく、各国の伝統的祝日を楽しめる、ゆるゆるフレキシブルさが日本のいいところ。

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朝カレーとホリガー

9/22 夜になると鮭はイベント、いらしてくださった方々、出演者の皆様、ありがとうございました。ぼくは非常に楽しかった。 ガタリのCDを買ってくれたみなさん、あまりお話が出来ませんでしたが、とてもとても嬉しかったです。ありがとう!
次は、11月の2DAYSライブです。たぶん、11/16, 11/17 ですかね、わかりません。未定です。
16日は確定。
年の瀬から来年にかけて、ガタリは相当アクティブに動こうと思っています。よろしく。


ぼくはぜんぜん知らないのだけど、Laguna Moonという若い女の子に人気のブランドのイメージ映像?メイキングムービーの音楽に
Forma. 3.10にも収録されているPawnさんの楽曲「Morning Tone」が抜擢され、その曲のピアノアレンジをさせて頂きました。

「Morning Tone」ピアノアレンジバージョンです。
http://www.lagunamoon.net/
http://www.lagunamoon.net/making/


いわゆる「クリスマスソング」の製作依頼が来たら、オーボエだけに10声部を課すようなキュートな曲を作ってやろうと鼻息ふぅふぅさせてるのに、誰もぼくにオファーしてこない。オファーの兆しさえない。寂しい。

なんてことをハインツ・ホリガーを聴きながら夢想しつつ、朝カレー。



event情報

PROGRESSIVE FOrM presents New Sounds of Tokyo Vol.7
various artists Forma. 3.10 release event

2010.10.10.sun @ Apple Store Ginza(アップルストア銀座)19:00-20:00

Live: Caelum with Takafumi Tsuchiya, yuanyuan, Nakagawa Takuma

Entrance FREE Apple Store Ginza

2010.10.22.fri @ LIQUID LOFT, Ebisu, Tokyo - open/start 23:30

Live: eater, sooner, sabi, Taishin Inoue & Seiji Takahashi
DJ: Ametsub, Geskia!



ロベール・クートラス作品集
僕の夜 Mes Nuits
2010.10.12 エクリより上梓

小さな声が響く

お久し振りです。
ツイッターやってる人たちは日々顔を、いや文字を合わせてるけどさ。

最近、政局が混沌としているようですね。
テレビをまったく見ていないので、管政権も、小沢一郎のこともよくわからないし、そもそもぼくは政治には怠惰であろう、どんなイデオロギーにもなるべく与しないよう努めている(ムリだけど。)ので、現内閣がわけのわからない修辞を述べようが、官僚が上告しようが知ったことではない。でも周りの人々はわりに白熱している。
ぼくとしては、与党やら政権なんて何れだっていいんじゃねえの?と思うのだけど、そんなことを言うと激昂されそうなので、静観するのである。
でもツイッターのタイムラインが本当にうるさい。
政治的な発言を繰り返す人々は多くの場合、自分が政治的にコレクトなことを発言していると思っている。
だいたい、発言の質というよりは声のボリュームがデカすぎる。
「コレクト」なことは小さな声で語るべきだと思うのだけど、声の大きな主張が強い力を持つというファンタジーが通念であるようで、みんな金切り声で叫んでいる。

音量が大きくなるにつれて、それは「コレクト」ですらなくなってしまうというのに。

誤解されると困るのだけど、政治的に私見を述べる人々をバカにしているわけではないし、自国をよりよくすることに反発しているわけでもない。(政治的意見を持たない無知な人間がまっとうな自説を持つ人々を讃えることはあれど、バカにできるわけがないし、母国をよりよくする活動を忌避する理由なんてどこにもナイ。)
ただ、声のトーンに悪意が含まれているんだよ、声がデカいが故に。
以前、悪意の飛距離について書いた気がするけど、相手を叩きのめすための語法は、もっぱら「デカい音量」で、かつ「コレクト」な文脈において用いられる。
ほら、この文章みたいにね。



さて、お知らせです

先月リリースされた、PROGRESSIVE FOrMのコンピレーション、「various artists "Forma. 3.10"」が本日、2010.9.8より、世界22ヶ国のiTunes Music Storeにて配信スタートになりました。ぼくも一曲提供しています。チェックしてみてください。全曲とても良いです。
盤を買っていないひとは、是非iTuneにて!

various artists "Forma. 3.10" (PROGRESSIVE FOrM)
Now available on iTMS worldwide 22countries
http://itunes.apple.com/jp/album/forma-3-10/id388672362


そして、9/22は、radi presents「夜になると鮭は・・・」イベントです。
radiは素敵な友人のひとりである渡辺祐二くんがギターを務めるバンドで、共演は三度目です。出演者は、上記の「Forma」にも参加しておられる、Inoue Taishinさんと、soul tune factoryさん、それにギタリストのBancorainさんです。
soultuneさんは、これまた「Forma」の一曲目を飾っているyuanyuanの宮本さんがゲスト出演するそうです。
radiももちろん素敵だし、他の方々のパフォーマンスは未体験なのでとても楽しみです。

是非いらしてください!

http://radistrand.com/


先月から、Ngatariの新曲をはじめ、短編映像の音楽や、ダンスのための音楽などにとりかかっている。
この前、ドラムの山岸さんと、「川が上流から下流に流れることは時間軸として正しいのだけど、川の隅にできる"溜まり"のような時間の流れがあってもいいはずだよね」というようなことを話した。そういう話ではなかったかもしれないけれど、そのように心に残った。

当然音楽には時間がある。もちろんページをめくる本にもあるし、アニメーションにもある。舞台にもある。(ダンスはちょっと事情が変わると思っているのだけど、まぁこれはまた別の話。)
時間という概念は、要するに人が生まれた瞬間、強制的にスイッチが押されて、死んだと同時に閉じられる物語であり、歴史はその最小単位から派生した便宜的な記号に過ぎない。

「注がれて、しまいには溢れだす、出口はない、終わりパタン。」というような音楽を、尺のある歌曲や、映像や舞台にあてたいと思っている。個人的にはリゲティの音楽がわりとそういうイメージなのだけど、どうでしょう。

ポストワールドカップ

お久し振りです。

書きたいことはたくさんあったはずなのだけれど、
ツイッターでじゃぶじゃぶとドクサを流し続けているので
手元にはわずかな記憶と、いくつかの泣き言しか残っていません。



8/11 Releaseの、
PROGRESSIVE FOrM 3rd Compilation Album various artists / Forma. 3.10
に参加、一曲書き下ろしました。
Viola奏者の、酒井静香さんに手伝ってもらって、
violaのみ、6声の曲です。
パーカッションは、おなじみの山岸直人氏。
アレンジはぼく。
なかなか素敵なので、手に入れてください。

なんと、18曲入りで、今をときめく稀代のエレクトロニックアーティストたちが渾身の楽曲を提供しています。

PROGRESSIVE FOrM
3rd Compilation Album
8月11日発売
various artists / Forma. 3.10
税抜価格¥2,200 / 定価¥2,310
PFCD21 / 1CD / 4582237819892

http://www.ngatari.com/japanese/discography/PressReleaseForma_3.10.pdf
http://www.myspace.com/progressiveform



映像作家の橋本新さんの「DICAPRIO」に音をつけました。
先述の酒井さんのViolaのハーモニーが、橋本さんの凛とした美しいドローイングに合っていたので
そのまま流し込みました。rearrange pidgin op.1
ここでもパーカッショニスト山岸が活躍。
1時間くらいで作った食卓場面のワルツがわりと気に入っている。

ともかく、Violaの優しい手触りと、ドローイングの哀感がとても良いです。



5/5,5/6のNgatariのLIVE映像が出来ました。
映像撮影編集してくださったのは、あのSANRI-GUNさん。




ピアニスト・本間太郎氏発案の「カニのカタログ」が始動します。
(たぶんメシアンへのオマージュのはずだけれど、あるいは殻をかぶった鍵盤楽器に先駆的風穴を開ける気かもしれない。)
本間氏からの招待状は以下。
興味あるひとは教えてください。「カニのことならおれに聞いて」とか、「よかったらカニ図鑑貸すよ」などでもいいです。

コンピレーションアルバム「カニのカタログ」の制作が決定しました。1アーティストにつき一つ甲殻類の中から任意のカニを選びその着想で作曲するという懐古的コンセプトの下で進めていきます。作曲すること自体は任意ではなく強制なので、これを見た方は速やかに作業に取りかかってください。




8/22は、New sounds of tokyo vol.6に参加します。
詳細はまたおって告知をするけれど、こんな具合です。
素晴らしいイベントです。

PROGRESSIVE FOrM presents New Sounds of Tokyo Vol.6

時間
Open / Start 16:30

料金
前売券 ¥2,500 当日券 ¥3,000 メール予約・w/flyer ¥2,700 (共に1ドリンク別)

出演
Evade (from Macau.CH)
kadan / haruka nakamura,
Luis Nanook (Chihei Hatakeyama & Tsutomu Satachi)
miyauchi yûri,
Ngatari
Ametsub -dj set-

チケットの取り扱い:ローソンチケット(Lコード76602)
店頭販売 EATS and MEETS Cay SPIRAL RECORDS
メール予約のお申し込み:PROGRESSIVE FOrM idp@kt.rim.or.jp
お名前(フルネーム)、ご連絡先、ご希望枚数をお知らせください。

http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2010/08/liveprogressive-form-presents-1.html
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1263038&media_id=13
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100702-00000011-cdj-musi
http://www.cdjournal.com/main/news/kadan/32187

new sounds of tokyo vol.4

new sounds of tokyo vol.4 終わりました。
素晴らしい音を用意してくださった音響の方、気持ちの良いスタッフの方々、
素晴らしい出演者の皆様、ながい時間お付き合いしてくれた10000人を越えるお客さんたち・・・
本当にありがとうございました!


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楽しかった。楽しんで頂けたでしょうか。
ガタリのはじめの音が鳴った時、客席はとても静かだった。
お客さんの承認なしには、あの深遠な空間は生まれなかったに違いない。
音楽を作るというのは、シンパシーを感じることとほとんど同義なのだと、改めて思う。
音楽とは、「他者に受け入れられるための機会を求めること」それのみなのだと。
何を求められているか分らないときにこそ、人はなんとか他者の同意を得ようとする。
コミュニケーションの原型を基礎付けるのは、そのような聴き手、話し手のインターフェースだ。
考えてみれば、生きること自体、そのような「関係」の連続であるけれど。
ありがとう。また会いましょう!!


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だいたいのものは燃えるし、温かい

新譜の製作も終え、PC周りと機材をアップデートして、譜面をかりかりまとめて書く。
手書きで譜面を清書するときが作曲工程のなかで一番充実している時間だ。
音が定まる、音が渡る。
やたらと時間がかかる。
つくるときもそうだけど、二番目の和音に一番時間をかける。
二つ目の音で、風景が決定する。人跡未踏の地。行き先はもう定まった。

    • -

SAIDERA MASTERINGの森崎さんにマスタリングを手掛けて頂いた。
素晴らしい技術である。風通しがいい。マスタリングでこんなに音の透明度が増すのか。
そう申し上げると、「楽曲のなかにそれだけのポテンシャルはあるんですよ。
それを見つけて、どう取り出すかがマスタリングの技術です。」とおっしゃっていた。
漱石、夢十夜
コーヒー牛乳のなかから、牛乳だけを取り出すことはできない。
けれど、牛乳の味を想像し、遡及的にその配合を論じることはできる。
想像力とは地図を書くことではなく、そのときに適したささやかなシグナルを選び取る能力である。


家に帰って、proofを試聴する。
信じられないことに全曲良いのである。
作ったぼくと、聴いているぼくはもちろん別人であるから、自画自賛ではない。
明日のぼくが同じことを言っているかは断言できないけれど、これはたぶん一聴の価値ありです。

    • -

2/17「Nebular for thirteen」
PROGRESSIVE FOrMより、リリースします。
(来月辺りHPを一新するので、そのときに詳細は書きます。)

    • -

焚き火をする。焚き火は法律で禁止されているそうなのだが、
四の五の言わず、木を燃べろと、時代がわたしたちに要求する。
なので、ジャック・ロンドンに倣い、ぼくらは、ただ、BUILD A FIREするのである。
しかし、焚き火を創造するのは風だし、焚き火のエンドユーザーは空である。
となると、焚き火の前で立ちすくむ俺らはなんなんだ?


ぼくらが消費するのは、ぴかぴかの貨幣でもなく、ぴちぴちの情報でもない。胡散臭いアイデンティティーでもないし、つまらん言葉なんかでもない。「木」だけである。なんてプリミティブで、かつ音楽的なんだ。それに炎があがることについて誰も言い訳が出来ない。なにより温かいのである。


http://www.youtube.com/watch?v=N-TnBoSJgmI

やがて

弟の知人のアメリカ人が、あまり英語が喋れない頃の日本人の友人と話しているときのほうが英語がしゃべれるようになった今よりも、面白かった。英語が達者になって話がつまらなくなったと言っていた。

これは、その日本人の知性の奥行のなさが露呈したとか、キャラクターがつまらないということではないと思う。
母国語以外の国の言語を学習するとき、人はその国の慣習やイデオロギー、価値概念込みで身につける。そうでないと、まずその言語は身につかない。身につかないというより、その言語の話者としては、話が出来ない。

日本人としての自分の考えを、頭のなかで翻訳して、それをそのまま他言語で発語しても、
意味の丈はぜんぜん変わってしまうし、まったく真意が伝わらないことだって少なくない。
愛、love、amour、amoreは同じ「愛」でも、その言語の含意はまったく違うし、意味の奥行もぜんっぜん違う。


外国語を学ぶのはとても悲しい。(これもどこかで聞いたような。)楽しいと思っている人は、ろくでもない話のみに終始していると言わざるを得ない。
たとえば、ぼくがイタリア語を話すとき、イタリア人の身振りで、イタリア人の価値観をもって、イタリア人風の視点にかえて、世界を描写するしかない。
日本人としてのイタリア語には何の意味もない。意味はあるのだろうが、少なくともイタリア人たちは、ぼくの"物差し"を、長靴の形に大きく曲げて解釈することになる。
べつにペシミスティックに思っているわけじゃなく、そういうものなのだ。

というようなことを
このあいだ欧米の友人に「憲法九条はさ…」という切り口で話し始めて深く思い知らされました。そういえば俳句の翻訳もひどいよね。
言語ネタばっかりだな、やたらと喚いているなおれ。
http://d.hatena.ne.jp/monobook/20080407/1249974704


ぜんぜんまったく展示やら映画やら、何も見ていない。悲しい。
TSUTAYAではちょこちょこ借りているけれど。パトリス・ルコントとか、伊坂幸太郎とか。
両氏ともに退屈だった。


来年2月にPROGRESSIVE FOrMより、NGATARIの新譜(Reパッケージ)をリリースします!
マスタリングは終えていないけれど、なかなか素敵なレコードになりそうだ。嬉しい。
詳細はまた後日。
ジャケットは秋山花さん。
先日は、二子玉川のIDEE SHOPに、秋山さんの展示を観に行く。
素敵だ。


うつらうつらと、三浦展を読み、何を思ったか「ぼく自身あるいは困難な存在」ジャンコクトーを読み、「人の心はどこまでわかるか」という一見ひどいタイトルの本を読む。一見ひどいけど、河合隼雄ならばいいでしょう。
でもだんだん「コミット」というワードに飽きてくる。頻出するんだよ。最近の文化人、みんな「コミット」やら「デタッチメント」って言ってない?
そうやって時代は時代に倦んでいくでしょうね。



仕分けについてかりかり怒って何か書こうとおもったけれど、べつにどうでもよくなった。
芸術やスポーツに対する助成金の削減に、みんな口を揃えて腹を立てている。
「この国を豊かにする気はあるのか」と。もっともである。
あまりに一致団結して怒り狂っているので、ぼくはどうでもよくなってしまったのである。

そして思ったよ。
少し前に日本文藝家協会が、googleの書籍検索に大して猛然と抗議をしていたけれど、そのロジックは「ネットで本の中身が読めてしまうことになれば、著作権者の収入に影響する」というもの。

なんだか似ているんだよな〜。
昨今本が売れないから著作権を死守しようとするひとたちと、先述した仕分けに抗議している人たち。もちろんぼくだって、芸術文化への予算削減には大反対であるけれど。にしても。


いま、日記のタイトルに「やがて哀しき外国語」と打とうと思って、「やがて」と打ったら、
「やがて哀しき外国語」と候補がでた・・。

google 日本語入力 すごい。